豊かないのち 信仰を築く 慰め 勇気 励まし 希望 知恵 仕事

しかし神は、ユダヤ人でも外国人でも、救いへと招かれた人々の目を開いて、キリストこそ彼らを救う偉大な神の力であることを悟らせてくださいました。実に、キリストご自身こそ、人々を救うための、神の知恵に満ちたご計画の中心なのです。

自分をだますのはやめなさい。だれか、「自分は世の知者だ」と、もし考えているのなら、そんな考えは捨てて、愚か者になるほうが身のためです。天からの真の知恵を受ける妨げにならないためです。

この世の知恵は、神から見れば愚かだからです。聖書のヨブ記に、「神は人の知恵を、その人を捕らえるわなとして用いられる」(5・13)と書いてあるとおりです。つまり、人は自分の「知恵」につまずいて倒れるのです。

しかし、神からの知恵は純粋であり、平和とおだやかなやさしさに満ち、思いやりと良い実に満ちています。

この世の人々の生活や考え方をまねてはいけません。むしろ、神に喜ばれることは何かを思いながら、なすこと考えることすべての面で生き生きとした、全く新しい人となりなさい。

この「愚かしい」神の計画は、最高の知者の最も賢明な計画より、はるかにすぐれたものです。また、キリストの十字架上の死という神の弱さは、どんな人間の強さよりも強いのです。

というのは、神によってあなたがたはキリスト・イエスのいのちを得たからです。キリストは、神の救いの計画を明らかにしてくださいました。私たちを神に受け入れられる者としてくださったのは、このキリストでした。この方は、私たちを聖なる者とし、また、私たちを買い取るために、ご自身を投げ出されたのです。

とはいえ、成長したクリスチャンの間では、私はすぐれた知恵のことばを語ります。しかしそれは、この地上の知恵ではなく、また滅ぶべき運命にある、この世の支配者の気に入る知恵でもありません。 私たちのことばに知恵があるのは、それが神から出た教えで、天の栄光に導く、神の知恵に満ちた計画を告げるものだからです。私たちの語ることは、以前は隠されていましたが、世界の始まる前から私たちのために備えられていたものです。 しかし、この世の支配者たちは、このことを理解しませんでした。もし理解していたら、まさか栄光の主を十字架につけるようなことはしなかったでしょう。 まさに、聖書の次のことばどおりです。 「人が、これまで見聞きしたことも、 想像したこともないほどすばらしいことを、 神は、ご自分を愛する人々のために 用意してくださった。」 ( 、 ) 私たちには、このすばらしいことが何かわかっています。神様がご自分の聖霊を通して知らせてくださったからです。神の霊は、神の最も奥深いお考えを探り出して、それを教えてくださるのです。 人が何を考えているか、その人が実際にどんな人間であるか、本人以外にはわかりません。同様に、神の考えを知りうるのは、神の霊以外にありません。 事実、神様は私たちに、この世の霊ではなく、ご自分の聖霊を与えてくださいました。それは、神からのすばらしい恵みと祝福という賜物を、私たちが知るためです。 この賜物について話す時、私たちは、自分が人間として選んだことばではなく、聖霊によって教えられたことばを使ってきました。つまり、聖霊のことを説明するには、聖霊のことばを用いるのです。 しかし、クリスチャンでない人は、聖霊が教えてくださる神の思いを理解することも、受け入れることもできません。彼らには愚かしく思えるのです。というのは、自分のうちに聖霊をいただいている人だけが、聖霊のお考えを理解できるからです。 聖霊をいただいている人は、すべてを見抜きます。ところが、聖霊をいただいていない人は全く理解できないので、まごつき、とまどうのです。 いったい、どうすれば彼らに聖霊がわかるというのでしょう。彼らは、主の思いを知ったこともなく、それを主と論じ合ったこともなく、また、祈りによって神の御手を動かしたこともないのです。しかし驚くべきことに、私たちクリスチャンは、まさにキリストの思いと心を共有しているのです。

私は祈っています。どうか、あなたがたの愛が、もっともっと満ちあふれますように。同時に、霊的な知識と洞察力も、さらに深められますように。

だが悪者でも、すべての罪から離れ、わたしのおきてを守って正しく誠実に生きるなら、必ず生きて、死ぬことはない。

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